Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

生田神社

 神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつで、延喜式神名帳では名神大社に列している。生田神社の祭神は、稚日女尊(ワカヒルメノミコト)で、これは天照大神の幼名や和魂、あるいは妹ともいう。若々しい日、つまりは朝日信仰だったのだろうか。神功摂政元年(201)、神功皇后三韓外征の帰途、船が進まなくなったので占いをしたところ、稚日女尊が現れたので、布引山に祀ったと伝わる。そして、後の延暦18年(799)に、水害によって現在地へ遷座したという。

 今では全国に通じる名前にもなった神戸という地名は、もともとは神に仕える人々の家(戸)から来ており、この生田神社の南にあった神戸だけでなく、全国の著名な神社の周辺には多い地名である。古代の発音ではカンベが正しく、それが地方地方で訛り、この生田神社のある場所のようにコウベと読んだり、別な地方ではゴウドなどとも読んだ。このように、生出神社は街としての神戸だけではなく、その地名とも大変関わりが深い神社である。

 神社があるのは、今は市街地の真ん中で、生田ロードと呼ばれる南北の通りを北へ進んでいくと境内に入ることができるが、昔は生田の杜といって、生田神社を中心に木々が生い茂っていた。源平の一ノ谷の合戦でも、戦場の東端が生田の杜であったし、九州から上洛する足利尊氏の軍を迎え討った楠木正成も、この杜に布陣したことが太平記などに記されている。

 現在は前述のように市街化してしまって、杜のかけらも残っていないような場所に鎮座しているが、境内に入ると、さすがに街の喧騒が和らぐ。兵庫出身の芸能人の結婚式で話題になったこともあり、あれ以来、全国的な知名度も上昇したようだ。

 阪神淡路大震災では、社殿が崩壊してしまったが、現在は新しい社殿が建立され、神社としての存在感が戻っているのは、地元の人間として嬉しい限りである。神戸の人間としては、やはり市街地の中に存在感があってこそ、生田神社という感じなのだ。

 

最終訪問日:2000/1/5

 

 

歴史が好きな人間なら、生田の森と言えば知らない人はいないでしょう。

生田さんの杜、なんですね。

今は市街化して杜の面影はほとんど無いですけど、なんとなく杜っぽさは感じるんです。

六甲山の山並みが借景のように、すぐ北にあるからなんでしょうか。

なんだか不思議ですね。