Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

熊野本宮大社

 全国の熊野神社総本宮で、その名の通り熊野三山の中心と考えられる神社。また、延喜式に熊野坐神社と記載される式内社名神大社であり、現在は、神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつでもある。

 創建は、第10代崇神天皇の65年(紀元前33)と伝わるが、崇神天皇が3世紀頃の人物とされているので、伝承通りとすれば、創建も同時期ということになるだろうか。ただ、明治22年(1889)の大水害に遭うまでは、熊野川の中洲の大斎原という不安定な場所に鎮座していたため、祖型としての出発点は水神であるかもしれず、あるいは八咫烏が使いであることから太陽神かもしれず、社殿ができる遥か前から、自然神を祀っていたのは間違いないだろう。

 主祭神は家津美御子大神で、記紀ではスサノオノミコトにあたり、ほかに11柱が祀られ、この12柱で熊野十二所権現と呼ぶ。権現と呼ぶのは、仏教伝来以降の神仏習合の結果であり、それぞれの神に本地仏と呼ばれる相対する仏が規定され、家津美御子大神の本地仏阿弥陀如来である。

 神話上では、初代神武天皇が九州から大和に入る際、瀬戸内から入ろうとして一度河内の勢力に敗れた後、再び海に浮かんで紀州熊野で八咫烏の援護を得て、無事に大和に入ったという。中世以降、このような伝説から、聖なる烏に誓うという意味で、3本足の八咫烏が印刷された熊野午王神符という紙が、誓約を取る際に使用された。

熊野午王神符

 また、この本宮町の本宮大社の他、新宮の速玉大社、那智勝浦の那智大社熊野三山というが、江戸時代には蟻の熊野詣と呼ばれるほどのブームがあり、周辺には参拝客が通った熊野古道と呼ばれる昔の街道や、分祀した王子とよばれる小さい社、温泉宿などが今でも残っており、周囲一帯は独特の古色を帯びた雰囲気がある。

 かつては、熊野川の中州の大斎原という場所に上四社、中四社、下四社がそれぞれ祀られていたが、前述の大水害によって中四社と下四社が倒壊、流出し、上四社だけが現地に遷座された。かつての境内であった大斎原には中四社と下四社の石祠が祀られているという。

 それでも、現在の境内の社殿は重要文化財だけあって大きく荘厳であり、杜も深く厳かで、有史以来積み重ねてきた歴史の重みを感じさせる。江戸時代の、蟻のような参拝客の数ではないだろうが、世界遺産の一角を成す大社であることから、今も観光客は相変わらず多い。

 

最終訪問日:1995/8/18

 

 

熊野川沿いにひたすら走り、深い深い山間にあるんですが、それがまたいいですね。

ここにお参りした直後にバイクでコケたんですが、日頃の行いが悪かったんでしょうか。

精進します!