Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

大崩海岸

 名が示すように、約4kmに渡って断崖絶壁がそのまま海に落ち込み、脆い岩質によって崖崩れが頻繁に起こる海岸。

 大崩海岸一帯は、高草山や満観峰から続く山塊が直接海に落ち込んでいる場所で、その岩質は、玄武岩や粗面安山岩などの火山岩で構成されているが、これらは、水による冷却で円形や楕円形に冷え固まった岩が固結してできる枕状構造を持つという。つまり、1500万年前頃の中期中新世に海底で噴火した溶岩が、500年前に隆起して高草山を含む一帯の高地となったことを示している。

 また、大崩の名が示すように、地質が脆いのもこの一帯の特徴だろう。ちなみに大崩海岸は、日本地質百選にも選ばれており、研究分野ではその名を冠して、一帯の地層を大崩層群とも呼ぶ。

 大崩海岸付近の交通としては、古代こそ海岸近傍の日本坂峠に東海道が通っていたが、平安時代以降は内陸部の宇津ノ谷峠を通るようになり、主街道からは外れた。ただ、大崩海岸そのものにも、明治期までは海岸沿いを歩くだけの浜があり、人が往来していたという。

大崩海岸の断崖と緑が浸食するかつての国道

 その後、明治時代の交通網整備の際、国道1号線東海道を踏襲したが、東海道本線日本坂経由のルートが採られ、大崩海岸のすぐ内陸部に石部トンネルと磯浜トンネルを掘り、その間を繋ぐ部分は大崩海岸の防波堤上に線路が施設された。

 しかし、この区間は、後に弾丸列車計画で現在の新幹線が使っている日本坂トンネルが掘られたことによって付け替えられ、更に新幹線開通で石部トンネルと磯浜トンネルが繋げられたため、今は海岸を通らずに直通となっている。

 ちなみに、この旧石部トンネルの焼津側口が昭和23年(1948)のアイオン台風で崩壊しており、その遺物が一部で名物となっているようだ。

 一方、沿岸道路の方は、最初は県道として整備され、後に国道150号線になったが、土砂崩れや地盤崩壊が頻発し、何度も改修工事が施された。さらに、昭和46年(1971)には、犠牲者を伴う大規模な土砂崩れによって復旧の見通しが立たなくなり、その区間海上を迂回する橋に付け替えられている。

道路決壊によって通行止めとなっていた先の区間海上橋から眺める

 現在は、昭和53年(1978)に開通した静岡バイパス国道150号線となったため、再び県道となり、生活道路の機能を果たしているようだ。

 訪れた時は、道路決壊により通行止ということで、全線を走れなかったが、大規模な土砂崩れによって海上橋に付け替えられている区間と、旧東海道線のトンネル出口は見ることができた。

 崖を目の前にすると、見れば見るほど崖そのものであり、そんな場所に道路や鉄道を通すのは無茶な挑戦であったかと思ってしまうほど、その威圧感に圧倒される場所である。しかし、人間の技術というのも巨大な自然の前ではまだまだ歯が立たないという畏怖を感じる一方で、海上橋の出っ張り方を利用して橋の上から釣り糸を垂らす人々を見ると、人間というのはしたたかで強いなとも感じる場所だった。

 

最終訪問日:2016/5/22

 

 

堤防ではなく道路が決壊というのは、なかなか見ることができない衝撃の字面でした。

崖を見上げると、こりゃ自然には敵わんよな、というのが実感できます。