Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

余部鉄橋

在りし日の余部鉄橋

 高さ41.5m、長さ310.6mのトレッスル式の鉄橋。ちなみに正式名称は、戦前が餘部橋梁、戦後が余部橋梁である。

 山陰本線の建設が進められていた明治時代末期、山が海に迫っている地形であるが故に海岸沿いに鉄路施設の余地が無かった香住と浜坂の間は、海から近い場所にトンネルと鉄橋で通す案と、内陸部を迂回して長距離トンネルにする案の、2つがあったという。両案を比較検討した結果、鉄橋には保守上の不安があったものの、最終的には難工事が確実視される長距離トンネルを避け、尚且つ最短距離となる現ルートが採用された。

 着工は明治42年(1909)で、同45年(1912)に完成し、これによって京都と出雲今市の間が全通することとなるのだが、最後の開通地点というのが橋の難工事振りを物語っているのだろう。

 余部鉄橋の運用開始は同年3月1日で、これによって山陰本線は山陰地方の大動脈となり、人員輸送と物流を担うこととなったのだが、冬の季節風や雪、潮風など、橋の材質である鉄にとっては大敵となるものが多く、橋守が常駐して補修していた時期も長かったようだ。そして、重大事故となった昭和61年(1986)の列車転落事故以来、強風時の運用が厳格化されたことにより、山陰線の列車運行の遅れの要因となることが多くなった。

 この為、JRと自治体の間で新しく架橋する話が出され、鉄橋に隣接して風の影響を受けにくい防風壁を備えたコンクリート橋が架けられることとなる。こうして、平成22年(2010)7月16日、架橋100周年を2年後に控えながら、その使命を終えた。

 国道178号線の真上を通り、遠くからでも赤い鉄橋が独特の風景となっていたが、今ではどこにでも見られるようなコンクリート橋となり、残念ながらその独特さは消えてしまったようだ。かつては見学用の駐車スペースも確保され、休日には観光客が立寄り、写真だけを撮っては出発していくという、やたらと回転の早い観光地だったが、今でも鉄橋の橋脚3基分、約68mは残されており、鉄橋のそばまで行けるようになっている。

 

最終訪問日:2001/10/25

 

 

橋が在りし頃は、日本海沿いの国道178号線を走っていると赤々とした鉄橋が見えてきて、テンションが上がりました。

今は空の駅という観光地として整備されているので、また1度行きたいですね。