Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

鞍背城

 築城は宇野頼季と伝わるが、詳しいことはよく分からず、いつ頃に廃されたのかも不明。名前は、クラノセと読む。

 この築城者と見られる頼季は、宇野頼定の子で、南北朝時代に活躍し、太平記にも名がある。播磨の宇野氏と言えば、室町時代には四職と呼ばれた名族赤松氏の本宗とも言える氏族で、赤松氏が勃興した後にはその重臣となり、西播磨守護代を務めた。また頼季は、黒田官兵衛が仕えていた御着城の小寺氏の祖となる人物でもあり、小寺頼季の名のほうが通りが良い。

 城は、嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱で落城したとされ、赤松満祐の籠っていた城山城の落城を知って自刃したという依藤惟次の塚が麓にあるが、伝承では惟次は、白旗城との連絡役であったようなので、城山城陥落直前まで白旗城と城山城の間は赤松氏が保っていた可能性がある。もしそうならば、この城はその連絡線を支える重要な城で、しかも落城は城山城落城の後ということになるが、すべては推測の域を出ない。

 地図を眺めていて、JR姫新線千本駅の西に、栗栖川の流れを大きく湾曲させて張り出している城山という山を見つけ、麓の2方向を川が洗いつつ背後には山塊が続くという城としての立地の良さに惹かれ、立ち寄った。だが、千本の集落には城の案内が全く無く、山に入れそうな道も無かったので、散策は諦めた。

 

最終訪問日:2005/10/27

 

 

地図を眺めていて、あからさまに城がありそうな川と山の地勢に、城山という山がある、となれば寄らないわけにはいかない!

と、寄ってみたんですが、見事玉砕しました。

調べてみると、城山の南東の須貴神社付近から登れるみたいですね。