Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

妻籠宿

 木曽路の数ある宿場町の中で、最も江戸時代当時の姿を残していると言える宿場町であり、中山道六十九次の中の42番目に位置していた。

 中山道の中でも、木曽谷付近だけを特別に木曽路と呼び、11宿があったのだが、この妻籠宿は南から2番目で、更に南にある馬籠宿で木曽路は終わる。つまり、木曽川沿いに下ってきた街道は、この妻籠宿からやや山側に入って馬籠峠を越え、さらに南の馬籠宿を越えると信州から美濃となった。

 ただし、南隣の馬籠は、時代によって信濃であったり美濃であったりしたようで、近代でも、平成17年(2005)に越県合併で長野県から岐阜県へと所属が変わっている。

 参勤交代や旅人で賑わった江戸時代が終わり、明治維新を迎えた後もしばらく街道は栄えていたが、やがて太平洋側の東海道が、人や物の流れの圧倒的な本流となり、中山道は傍流となった。さらに、中央線の鉄路や国道19号線が、妻籠から山へ入る最短コースではなく、そのまま木曽川沿いを下るようになったため、妻籠は完全に取り残された形となってしまう。山を越えた南の馬籠も同様で、同地出身の島崎藤村の「夜明け前」には、その辺りの陰鬱とした衰退の空気が滲み出ている。

 しかし、その衰退が幸いとなり、往時の宿場町としての町並みや街道が戦後まで保存された。そして、この町並みを維持、保存しようとした妻籠の人たちの努力もあり、現在では、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。その努力の結果として、観光だけのためにある町並みではなく、妻籠が生きた町となっているのも、その魅力のひとつだろう。

 訪れてみて思うのは、全国に宿場町と掲げるところは多いとは言え、妻籠ほど昔のまま残っているところは、なかなか無いということだろうか。大なり小なり、都市化や近代化の影響が見られる旧宿場町がほとんどだが、妻籠は、時代劇のセットかと思うほど、当時の町並みが残っている。そして、それが今も人の住む町であるというところに、なんともいえない町の温かみが漂っていて、復元では出せない雰囲気が心地良かった。

 

最終訪問日:2000/9/10

 

 

中山道は、当然ながら人影まばらな旧街道になっているんですが、この妻籠宿周辺だけは、観光客も多く押し寄せていて、当時の賑わいそのままかと思うぐらいでした。

雰囲気も抜群ですね。

いつかは、馬籠から妻籠まで歩いてみたいものです。