Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

栂池高原スキー場

 白馬岳近辺のスキー場の中では、最も北に位置するスキー場で、上級者コースから初級者コースまで多様なコースを揃える大規模なスキー場。現在の正式名称は、白馬つがいけマウンテンリゾートである。

 白馬岳東麓一帯におけるスキーは、「長野スキー史」によれば、大正2年(1913)に神城小学校校長の丸山新一郎と丸山吉雄が学校の裏庭で模範滑走をしたのが最初という。以後、白馬地域周辺の各地にスキーの倶楽部が創設され、普及していった。

 栂池高原スキー場の嚆矢となるのは、昭和23年(1948)に萱場を整備して造った、鐘の鳴る丘ゲレンデと称する小さなゲレンデという。この名前の由来は、当時大人気だった「鐘の鳴る丘」というラジオドラマの映画版のロケ地になったためである。また、翌年には、鐘つき堂地籍という場所の萱場を整備して鐘つき堂スキー場も造られており、この辺りが栂池高原スキー場の発祥地となったようだ。

 その後、昭和35年(1960)にリフトが設置されて白馬大池スキー場となり、翌々年には馬の背コースの開発と新たなリフトの設置に伴い、周辺スキー場を併せた栂池高原スキー場へと発展した。

 栂池高原スキー場では、クワッドリフトが何本もある鐘の鳴る丘コースが、縦にも横にも屈指の広さを誇る初心者用ゲレンデとして有名である。だが、その上には、長距離滑走もできる中上級者用のはんの木コースがあり、上級者用にはチャンピオンコースや狭い馬の背コースもあって、全体として非常にゲレンデが広く長く、どのレベルのスキーヤーやボーダーでも楽しめる、懐の深いスキー場だ。ちなみに、最長滑走距離は5000m、最大斜度は35°である。

 

最終訪問日:1994/1/7

 

 

学生時代はよく訪れた定番のスキー場でした。

印象としては、信州はちょうど東西のスキーヤーやボーダーの境目という感じで、関西弁と標準語がゲレンデで混在していた印象がありますね。

ただ、当時は関西からシュプール号というものが運行されていたのもあって、白馬地域は関西勢が優勢でした。

これが、山塊ひとつ越えた東側の妙高、赤倉、野沢辺りになると、関東勢が優勢だった印象がありますね。

アホバカ分布図や丸餅角餅分布みたいで、面白いです。