Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

横浜中華街

 横浜が著名になるのは、幕末からである。それまでの付近の主要な湊と言えば神奈川湊で、横浜は、まさに字の通り横の浜という郊外の場所であった。だが、嘉永7年(1854)に日米和親条約が横浜村で結ばれ、横浜が国際港として発展する嚆矢となる。

 和親条約に続いて安政5年(1858)に日米修好通商条約が結ばれると、神奈川が開港する港として決められたが、幕府は古くからの市街地であった神奈川での摩擦や混乱を懸念し、横浜は神奈川の一部であると強弁して安政6年(1859)6月に横浜が開港された。

 こうして国際港となった横浜には、開港と同時に外国人居留地が区画され、欧米人と共に通訳などの仲介者として来日した中国人が集まって居住するようになり、関帝廟中華学校を建設して中華街が形成されていったのである。

 この辺りの経緯は、海外に開かれる港と取り決められた古くからの湊である兵庫津にの代替として開港となった神戸と経緯が似ており、両都市で中華街が形成されたのも、たまたま似たのではなく必然と言えるだろうか。

 横浜の中華街は、神戸や長崎の中華街と合わせて三大中華街に数えられているが、その規模はかなり大きく、日本最大どころか、東アジア最大という。ただ、昔のように中華系の人々が寄り添って生きる街ではなく、立派に観光地化してしまっており、良くも悪くも庶民の生命力が感じられる雑然とした中華の雰囲気は無くなってきているようだ。この辺りは、横浜だけではなく、神戸も長崎も同じような道を辿っている。

 街中の雰囲気は、当然ながら中華風で、地元神戸とそれほど変わらず、なんだか知っている街のような気がしてしまう。ただ、中華街だけの事ではなく、異国情緒あふれる街並みや、海と山の近さなども、親近感を持ってしまう大きな要因なのだろう。

 

最終訪問日:1995/5/7

 

 

神戸の中華街が身近なだけに、大きいなぁというのが第一印象でした。

さすが背景の人口が違いますね。

お店も多すぎて迷います。