Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

余呉湖

 天女伝説の残る静かな湖。古代にはヨゴノウミと呼ばれた。

 琵琶湖の北岸から北へ、古戦場で有名な賤ヶ岳を越えたところに位置し、天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦では、主君である柴田勝家を逃がすべく毛受兄弟が奮戦して討死した場所で、天女伝説を持つ湖としても有名である。

 湖は、周囲6.4km、面積1.97km2の大きさで、琵琶湖と同じ断層湖であり、古くは琵琶湖の一部であったものが、地形の変化で分離したものといわれ、言わば琵琶湖とは兄弟湖と言えるだろう。また、琵琶湖と比べ、湖面標高が約49mほど高いが、最大水深は13.5mと浅い。

 かつては流出入の無い閉鎖湖であったが、安土桃山時代に今の高田川である江土川が余呉川との間で開削され、昭和に入ると、同じく余呉川との間で導水路や放出トンネルが開かれた。さらに、利水のため、琵琶湖との間にも揚水トンネルが掘られたため、現在では天然のダムとしての機能も付加されている。

 余呉湖は、別名鏡湖とも呼ばれ、その名の通り、湖面には湖を区切る急峻な山々が映え、周辺は田園地帯の長閑な雰囲気を持っており、非常に風光明媚な湖である。湖岸には、かつてはキャンプ場や国民宿舎もあり、ちょっとしたリゾート地となっていたが、残念ながらこれらは現在では閉鎖されているようだ。また、雪のよく降る滋賀県の中でも、余呉湖周辺は最も雪が多い場所のひとつで、冬のワカサギ釣りでもおなじみである。

 周囲をバイクで走ってみると、周回道路は所々細く、舗装もあまり良くないので、快調に走れる道とは必ずしも言えなかったが、間近に湖水を見ながら走れるのは、とても心地良かった。実際に現地で見た穏やかで静かな湖面からは、もっと光を通す浅い湖という印象があり、この実際の水深との落差が余呉湖らしさなのかもしれない。

余呉湖と田園風景

 

最終訪問日:2001/8/24

 

 

訪れた時は、まだ天女の衣掛柳は健在でしたが、台風で倒れてしまったようですね。

バイクを柳の近くに止めて写真を撮ったんですが、残念ながら貴重なものとなってしまいました。