Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

みき歴史資料館

三木城二ノ丸の碑とみき歴史資料館

 かつての三木城内にある、三木の歴史に関する資料館で、平成28年(2016)5月5日に開館した。入場は無料。

 三木は、美濃川とその支流である志染川という2つの河川が合流する場所で、川沿いに平地が開け、古くから人が住む場所であった。また、美濃川は加古川の支流でもあり、社会が成熟して経済が発展してくると、その水運の拠点としても発展するようになる。

 そして、そのような要衝を押さえるべく、戦国時代初頭に三木へ城を築いたのが別所氏であった。別所氏は、播磨国守護大名であった赤松氏の一族と伝わり、室町時代に没落した赤松氏が再興する過程で頭角を現し、戦国時代には東播磨8郡の太守と呼ばれるまでになるのだが、やがて播磨に進出してきた織田氏と対立することとなる。こうして、三木の干殺しと呼ばれた、約22ヶ月にも及ぶ籠城戦が始まり、最終的には城主別所長治ら一族の自刃によって落城、開城した。

 別所氏を滅ぼした織田家臣の羽柴秀吉は、当初は三木城を拠点にしようと考えていたが、軍師黒田官兵衛孝高の進言によって海を持つ姫路を本拠とし、三木城はその支城となる。その城下町としての三木も、一国一城令で城が廃城となった江戸時代初期までで、それ以降は、籠城戦の際に集まった鍛冶師などを中心とした手工業の町として発展し、やがて金物の町と呼ばれるようになった。

 みき資料館では、そのような三木の歴史を6つのパートに分け、1階で常設展示をしている。特に三木合戦の様子は、三木合戦群図という掛け軸や模型で表しながら、大きいスペースを取って解説されており、三木城跡も実際に見学しながら、その現地の解説を補完できる施設と言えるだろう。また、国指定の史跡である三木城と三木合戦の付城群を含むエリアを、巨大なフィールドミュージアムに見立てた、みき歴史・美術の杜みゅーじあむ構想の中核施設としても位置付けられている。

 訪れた日は、三木の小学校についての企画展と説明会があったようで、来訪する方も多かった。三木に長く住む方にとっては、興味を引かれる企画展だったはずで、構想の通り、地元に密着した身近な歴史資料館というスタイルで運営されているようで、なかなか魅力のある資料館である。

 

最終訪問日:2023/3/12

 

 

三木城には駐車場が無いので、ここの駐車場を利用させてもらい、城跡の見学をして、この資料館で解説を見る、というのが良い組み合わせですね。

小学校の企画展は、ちょっと地元でもやって欲しいなと思うぐらい、そそられる企画でした。

地元密着のそういう企画って、面白そうでうらやましい・・・