Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

諏訪湖

 長野県の中央に位置する県下最大の湖で、周囲17km、面積13.3km2の大きさを持つ。

 諏訪湖は、中央構造線糸魚川-静岡構造線という大断層が交差する位置にあり、この大断層とそれに付随する小断層群による断層運動でできた窪地に、水が溜まっでできた構造湖である。だが、最大水深は6.3mと、構造湖としては非常に浅い。上川を始めとする諏訪盆地の諸々の川の水を集める湖だが、流れ出すのは釜口水門からの天竜川ただひとつである。

 諏訪湖周辺の諏訪盆地は、昔から交通の要衝で、中山道が北東と西へ通じ、関東へは甲州街道、南へは天竜川沿いに三州街道や遠州街道と繋がる岡谷道があった。現在でも、中央道と長野道が交わる場所である。

南岸の有賀から上諏訪市街と諏訪湖

 あの有名な甲斐の武田信玄も、信州平定を目指す上で、まずはこの諏訪盆地一帯を制し、ここを侵攻拠点にして南の高遠氏、北の小笠原氏を破り、南西の木曽氏を臣従させた。そして、遂には北信まで勢力を伸張して越後の雄上杉謙信と激突し、あの有名な川中島の戦いを演じるのである。

 また、この諏訪湖周辺には、全国の諏訪社の本宮である諏訪大社が上社下社合わせて4宮あり、その創始は、有史以前に遡るという。諏訪湖の大きさは、この山ばかりの土地にあって素直に崇拝したくなるような大きさを持っているが、峻険な地形で周囲と隔てられているため、古代には、諏訪湖を生活の中心に据えた独自の文化的背景を持った地域だったようだ。諏訪大社は、そのような古代の地域的土俗的信仰の名残でもあると言える。

 また、そのような信仰の源流のひとつが、冬季に湖の全面凍結によって起こる御神渡りだろう。

南岸の諏訪S.A.から岡谷市街と諏訪湖

 冬に諏訪湖の湖面が全面凍結した後、気温の低下によって氷が収縮すると、脆い部分に裂け目が生じ、そこに入り込んだ湖水が新たに結氷するのだが、この時、水から氷になることで体積が膨張するため、僅かに凍結面全体も膨張する。また、気温の上昇による凍結面の膨張も影響するという。これらの膨張と収縮の繰り返しによって発生する圧力に、凍結面が耐え切れなくなった時、轟音と共に湖面の氷が割れ、山脈状に氷が押し上げられる。この現象を御神渡りと呼ぶ。正式には、この状態を観察した八劔神社が確認することによって、公式に御神渡りと認定される。

 しかし、近年は全面結氷しても気温の低下が進まず、御神渡りが発生しない年もあるほか、全面結氷にもならない年があり、毎年のように発生していた過去に比べると、珍しい現象となってきているようだ。自然の微妙なバランスによって成り立っている現象でもあり、見守るしかないのだろう。

 

最終訪問日:2012/10/12

 

 

関西の人間ですが、小学校の頃にNHK教育の番組で見ていたこともあって、親近感を持っている湖です。

自分達の世代にとっては、絶大な知名度がある湖ではないでしょうか。

授業でテレビが見られるだけで、とてもワクワクしてしたな~