Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

湯築城資料館

 中世に伊予守護職として、中予を支配していた河野氏の居城、湯築城に関する資料館。平成14年(2002)4月12日の開館。

 松山の城といえば、松山城が真っ先に思い浮かぶが、中世の松山一帯を支配していた河野氏は、道後温泉にほど近い道後公園にあった湯築城を、250年もの間、本拠としていた。つまり、当時は湯築城が守護所であり、伊予の中心だったのである。

 しかし、河野氏は、戦国時代を生き残る事ができず、秀吉が発した天正13年(1585)の四国征伐の軍に開城降伏し、豪族としての河野氏は滅んだ。

 湯築城は、2年後の九州征伐後に入部した福島正則が、一旦は入城したものの、すぐ国分山城へ移ったために廃城となり、以降は、ほとんど人の手が入らなかったという。

 明治維新後は、植物園や動物園など、松山市民のレクリエーションの場となっていたが、動物園閉園後の発掘調査で大規模な遺構が発掘され、史跡公園として整備されることになった。この資料館も、その整備事業の一環として建てられたものである。

 資料館の名前から解るように、展示されている歴史資料は河野氏湯築城のものばかりで、内容の焦点が絞られているだけに、中世に関する歴史が非常によく解る資料館だった。

 また、土塁を剥ぎ取ったものの展示など、城や城に付随する武家屋敷に関する解説もあり、一般の人は、近世の城とは全く趣の異なる中世の城というのがどういうものなのか、理解しやすいのではないだろうか。

 

最終訪問日:2004/9/11

 

 

城好きとしては、とても愉しい資料館でした。

土塁の断面など、表面からは見えない部分での、新たな発見もありましたしね。

公園自体も、凄く整備されていて、当時の姿を偲びつつ、のんびりできる場所となっていました。