Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

乃井野陣屋

三日月藩乃井野陣屋全景

 三日月藩森氏の陣屋で、三日月藩乃井野陣屋や単に三日月陣屋とも呼ばれる。現地の表記が乃井野陣屋であったので、名前はそれに従った。

 三日月藩初代藩主である森長俊は、津山藩2代藩主長継の五男である。元々は、津山藩から分知を受け、支藩として津山新田藩1万5千石を立藩していた大名でもあった。

 元禄10年(1697)の津山藩森家改易の際には、支藩である津山新田藩も取り潰される運命にあったのだが、隠退した長継がまだ存命していたことなどもあって幕府は温情処置を採り、長俊には三日月に改易前と同じ1万5千石が与えられることとなる。こうして、森家の分家である三日月藩が成立した。また、同様に、父長継が隠居料として貰っていた2万石や、長俊と同様に関家を継いで支藩津山宮川藩1万8千石の藩主となっていた弟長治にも、改易前と同じ石高が安堵されており、森家は嫡流の改易で3つに分かれたことになる。

 乃井野陣屋の構築は、津山藩改易の翌年から始まり、大庄屋であった井上家の屋敷を改修する形で御殿が造られた。陣屋正面には、2ヶ所に石垣を構えて堀を設け、最も外側の志文川沿いには桝形を構築し、元禄13年(1700)頃にほぼ完成したとされる。

 その後、三日月藩森家は維新まで動かずに続き、最後の藩主俊滋は明治の新政府を支持し、戊辰戦争にも参戦した。陣屋の方は、廃藩置県を経て明治6年(1873)の廃城令で廃されている。

 現在復元されているのは、御殿の前の堀と石垣の部分で、2度移築されながら現存していた物見櫓を元の位置に戻して修復し、塀や多聞櫓門も復元された。全国的にも陣屋が復元される例は少なく、往時の姿がよく分かるという珍しい陣屋と言えるだろう。

 以前から、三日月に藩があったのは知っており、その跡が何か残っているとは思っていたが、こんなに立派な形で陣屋が復元されているとは思っておらず、正直、驚いた。訪れた時は、残念ながら物見櫓は閉まっていて入れず、物見櫓や城門の後ろにはまだブルーシートの覆っている部分があり、復元工事はまだ続いているようだった。これらが完成した姿を想像すると、散策が非常に楽しみな陣屋である。

 

最終訪問日:2005/10/27

 

 

2005年当時は、まだ復元途中でしたが、ものすごく綺麗に復元されていて、ちょっと感動しました。

日帰りツーリングで行くのにちょうど良い距離なので、気候の良い時期にぶらりとまた行きたいですね。