Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

粟住城

粟住城説明板と登山道入口

 標高605m、比高約130mの城山に築かれた山城で、粟角城とも書かれ、粟住山城とも呼ばれる。現地案内板には、粟住城とあった。

 粟住城に関しては、築城年代や城主、事績などが不明であり、現地説明板では、江戸自体初期の津山城築城の際に、粟住なる人物がこの山から建材を持ち出したことから粟住という地名になったといい、従って城の名も、往時にどう呼ばれていたかは不明ということになる。一方で、津山城には本丸北東側に粟積櫓という二階櫓があるが、そちらの説明では、粟積山の建材で建てたためにその名が付いたとされており、こちらの説明とは逆になっていた。

視界が開けている粟住城本丸

 城は、蒜山高原を流れる旭川の支流、粟住川の東岸にあり、中国山地から蒜山高原へと張り出した山塊の突端にある独立状の山に築かれている。その山の北から南西にかけては、粟住川とその支流が廻っており、防衛線となっていたのだろう。城からは、蒜山高原が一望でき、立地場所としては適地である。

 城の構造は、城山の頂上部に長辺約25m、短辺10m弱の楕円形の本丸を置き、そこから北東に5mほど下がって長辺約35m、短辺7mほどの方形の二ノ丸が続いており、この2郭で主郭部を成す。本丸と二ノ丸の間は巨大な堀切で区切られ、さらに二ノ丸の北側には堀切を挟んで5mほど低い幾つかの小規模な郭が続いているようだったが、こちらは藪となっており、散策できなかった。高低差から考えて、北東方向が大手であり、登山道のある南や南東側は搦手だったのだろう。このほか、本丸南側に桝形のような小郭が付属しており、その周辺には竪堀らしい地形も確認できる。

本丸から二ノ丸とその間にある巨大な堀切

 縄張図を見ると、主郭部を中心として、北と北西、東方向の尾根筋に多くの段郭を重ねており、どちらの方向に防御の重点を置いていたかが解るだろう。一方で、反対方向の南と南西方向の尾根筋も城郭化しているが、こちらは段郭が少なく、特に南は小ピークを削平した出丸のような機能を持っていたと見られ、削平地も大きい。南西の峰筋が現在の登山道になるが、こちらも幾つかの削平地と埋まりかけた堀切を、現地で確認することが可能だ。

 城へは、国道482号線から県道322号線を南東へと進み、粟住川とその支流の分岐点付近付近から支流を越えて小さな集落の道に入ると、登山道が出ており、登山口から本丸までは10分ちょっとの道程である。ただ、粘土質の上に土が軽く乗っているような感じで、登山道は滑りやすかった。城の見所は、本丸と二ノ丸の間の巨大な堀切と、本丸からの蒜山高原の眺めだろう。知名度の割にはしっかりと草が刈られている城で、登る身としては、非常に有り難い城である。

本丸切岸とその手前の堀切

 

最終訪問日:2022/5/21

 

 

事績不明のお城ですが、本丸は整備がちゃんとされていて、蒜山高原の眺めが素晴らしかったですね。

お城に興味がない人でも、眺めを楽しむために登るのはありのお城です。

ちょっと辺鄙なところではあるんですけども。