Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

湯原温泉

湯原温泉の公衆露天風呂砂湯

 湯原温泉は、湯が自噴する河原の意が名前となっており、古くから湯郷温泉奥津温泉とともに美作三湯に数えられ、昭和31年(1956)に国民保養温泉地としての指定を受けたことから、温泉街として大きく発展した。現在も、ホテルや旅館など宿泊施設が30軒以上あり、岡山県屈指の温泉街である。

 湯原温泉単体として見ても大きな温泉なのだが、範囲を広く見た温泉郷と呼ばれる区域には5ヶ所の温泉があり、旭川やその支流である鉄山川沿いに、中心となる湯原温泉から南へ下湯原温泉郷緑温泉、足温泉、真賀温泉が存在し、湯原温泉郷と言った場合にはこれらを含む。

 開湯の伝説としては、性空上人が重病に倒れた際、夢枕に童子が現れて温泉があることを示し、上人が現地を訪れて湯治したところ、病が癒えたという。以降、薬湯として広く知られるようになった。性空上人と言えば、姫路の名刹である書写山圓教寺を開いた僧侶で、10世紀を生きた人物だけに、温泉そのものの古さがよく解る。

 湯原温泉の目玉は、なんといっても湯原ダムのすぐ下にある、砂湯と呼ばれる公衆混浴の外湯だろう。砂湯とは、旭川の川底の砂を吹き上げながら湧出していることから付けられた名で、自噴していることから、古代よりたたらの人たちが利用してきたと考えられている。入浴料は無料で、脱衣室は部屋の形とはなっていない簡易なものであるが、湯船は整備されていて広い。ただ、露天にあるためか、温度はぬるめだった。

 泉質はアルカリ性単純泉で、源泉の数は15もあり、温度も40℃から45℃の範囲と、入浴する温度としてほどよい。湧出量も非常に多く、砂湯源泉は毎分60Lで掛け流しされ、共同湯のふれあい交流センター地下の源泉では、毎分1728Lと桁違いの多さである。湯原温泉全体では、毎分6000Lもの湧出量があるという。

 湯原温泉は、比較的、昭和的雰囲気を残している温泉街であったが、近年は宿の改廃などもあり、近代的温泉街として生まれ変わろうとしているようだ。個人的には、砂湯の背景がダムの堤体になってしまうというのが、風情的にちょっともったいないとは思っているのだが、それも年月が経ち、景色として目が慣れ、一般には馴染んできているのかもしれない。

 

最終訪問日:2023/5/23

 

 

9月の夜に宿の浴衣で砂湯へ行こうとした時には、手足の指が千切れそうに寒かったのを覚えています。

5月の早朝に行った時には、常連のおじいさんばかりで、落ち着いてゆったりとできましたね。

泊まる場所によっては、思ったより砂湯まで遠いという状態になってしまうのは、ちょっとした注意点かもしれません。