Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

慶雲館

 明治20年(1887)2月21日の明治天皇行幸の際に建てられた建物。

 この明治天皇の京都行幸があった当時は、東海道線長浜駅と今の膳所駅である馬場駅の間がまだ開通しておらず、馬場駅の浜手にあった初代大津駅から長浜駅まで、船便による代替輸送となっていた。

 長浜の豪商であった浅見又造は、この鉄道連絡船を運航していた太湖汽船の頭取であったが、船便で長浜に到着した天皇陛下が乗り換え待ちをするための、適当な建物が長浜に無かったことから、行幸が行われる前年の天皇誕生日である11月3日に私財を投じて建設を開始したのが、この慶雲館である。ちなみに、当時の長浜港は、旧長浜城の内堀を利用して慶雲館の北に造られており、まさに港に隣接した建物であった。

 建設費は、当時の価格で1万円という巨額にのぼり、3ヶ月の突貫工事で行幸当日に完成にこぎつけ、名前は伊藤博文命名したという。その敷地面積は6000m2余りもあり、木造2階建ての尾州産総檜寄棟造りの建物面積は500m2余りという大きさを持った、非常に豪華な建物であった。そして、2階には玉座の間が設けられ、琵琶湖と伊吹山が一望できる眺望を持っていたという。

 その後、慶雲館は浅見家の別邸として使われた後、昭和10年(1935)に国の史跡に指定され、翌年に長浜市に寄贈された。そして、平成18年(2006)には、改めて国の名勝に指定されている。ちなみに、現在も綺麗に整えられている庭園は、2代目浅見又造が行幸25年を記念して京都の小川治兵衛に依頼し、明治45年(1912)に作庭されたものという。

 建物は、現在も市の催し物や会議などに使われているが、特に盆梅展は有名のようで、盆梅の資料館も併設されている。また、庭には茶室も存在し、全体的に閑静な雰囲気を漂わせており、訪れた時も、茶室で茶会が開かれていて、優雅な空間に華を添えていた。

慶雲館遠景

 

最終訪問日:2001/8/26

 

 

天皇陛下の乗り換え待ちのために建物を建ててしまうなんて、お金持ちの発想は凄いですね。

今も上品な雰囲気は健在です。