Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

安宅関跡

 梯川の河口部にあったみられる、弁慶と義経の逸話で有名な関所の跡。現地の碑には安宅関址とあり、安宅の関や安宅ノ関と書くことも多いようだ。

 平家追討に大功のあった源義経は、後白河法皇に利用されて兄頼朝と対立し、叛乱の兵を挙げたものの、敗れて流浪するのだが、頼朝も義経を捕えるべく、全国に関所を設置した。

 この安宅関もそのひとつで、奥州藤原氏の保護を受けるべく北を目指した義経一行は、文治3年(1187)に富樫泰家が関守を務めるこの関へと辿り着き、泰家に詮議されて怪しまれたのである。その時、武蔵坊弁慶は白紙の勧進帳を読み上げ、さらに義経に顔が似ていると指摘されると、義経を金剛杖で打ちつけてまで主人を守ろうとした。その忠義に、泰家は義経一行と知りつつ関を通したという。

 この逸話は非常に有名であるが、意外なことに、源平合戦で最も有名な軍記物語である平家物語には無い。

 その根本となった話としては、義経記の、三の口の関を通ったこと、平泉寺で井上左衛門に正体を見破られそうになったこと、如意の渡しで弁慶が義経を扇で打ちつけたことの3つを参考にして、能の「安宅」で関にまつわる話が創作されたという。そして、さらにその影響を受けて歌舞伎の「勧進帳」が作られたようだ。ちなみに、義経記には、地名自体は安宅の渡という名で登場する。

 関跡には、海に面して「勧進帳」の主要人物である義経と弁慶、泰家の銅像が建っているが、もともと関があったとされる場所は沖合100mの海中に沈んでいるという説がある上、前述のようにその実在も不確かであり、史跡というよりは伝承地とした方が正しいだろうか。とは言え、県指定の史跡となり、史跡として整備もされているため、それなりに雰囲気のある場所になっている。

 

最終訪問日:2001/9/15

 

 

安宅関は実際にあったのかなかったのか、それは歴史のロマンなのかもしれませんね。

マイナーな場所かと思っていたんですが、訪れた日には割と人が多く、意外でした。