Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

富士山

 言わずと知れた日本一の山。玄武岩質の成層火山で、独立峰として穏やかな稜線を持つ姿が非常に美しい。

 富士山の山頂火口の縁部は八神峰と呼ばれ、そのピークのひとつが剣ヶ峰と呼ばれ、3776mの最高標高である。ちなみに、火口縁部のピークは、正確には10前後あり、8の数字は仏教に由来する数字という。

 富士山や愛鷹山箱根山などの富士山周辺一帯は、数百万年前から活動が盛んで、そのような活動の中、富士山の場所には約70万年前以降に先小御岳火山が誕生した。ただ、先小御岳火山は富士山と同じ場所にあった火山ではあるが、安山岩が主であり、今の富士山とはやや性格が異なる。

 この先小御岳火山の活動時期には、周辺でも40万年前頃から、箱根山の古期外輪山の元となる山や愛鷹山が生まれているが、やがて先小御岳火山は休止期を経て小御岳火山となり、約10万年前には愛鷹山と共に活動を停止した。ちなみに、小御岳火山は、北側五合目付近の小御岳神社付近に一部が露頭している。

足柄峠からの富士山の眺め

 その後、小御岳火山のやや南の中腹で古富士山が活動を開始するようになる頃、東では、箱根山が山体崩壊による古期外輪山を形成した後に新期外輪山の元となる火山の活動へと移行し、2大火山時代となった。

 古富士山は、非常に成長の早い火山で、僅か数万年の活動で小御岳火山の高さを超え、最終的には3千m近くまで高くなり、小御岳火山の大部分と愛鷹山の北半分程度を飲み込んだ。また、爆発的噴火であったのも特徴で、その火山灰は褐色の関東ローム層を作り出し、山体崩壊や、当時の寒冷な気候に伴う融雪型の火山泥流を幾度も引き起こしたと推定されている。

 その後、しばしの休止期を経て再び活動期に入り、古富士火山火口のやや西から噴火するのだが、これ以降は溶岩噴出型の火山へと性格が変わったようだ。そして、この時代以降の火山活動が、現在の富士山を形作った新富士火山による活動となる。

 新富士火山の活動は、火山のデパートと言われるほど多彩で、溶岩流、火砕流、山体崩壊、側火山、割れ目噴火などがあり、また、平安時代以降は、文書として噴火活動が多く残されているのも、富士山の特徴だろうか。これらの残された史料は、地震資料として非常に重要という。

富士山の富士宮口5合目から山頂を見上げる

 富士山は、国内のみならず国外でも日本を象徴する山として知られ、国の特別名勝世界文化遺産に認定されているほか、富士箱根伊豆国立公園の一部でもある。また、周辺は非常に自然に恵まれた一帯でもあり、多彩な動植物や、溶岩が作り出した幾つもの洞穴や湧水が見られ、多様な動植物相に対する富士山からの恩恵も計り知れない。

 一方で、非常に有名かつ象徴的な山でありながら、火口が富士信仰の中心とも言える浅間神社の境内地、つまり一私有地であるのは、信仰の山、霊峰としての歴史の深さであるとも言えるだろうか。それらの宗教的色彩の薄れた現代でも、富士山を目指す人は非常に多く、7月から9月の開山時期には、御来光を拝もうとする登山客で頂上付近が渋滞するほどである。現在でも、その形を変えつつ、心情的に何かを感じさせる霊峰であり続けているということなのだろう。

 

最終訪問日:2016/5/21

 

 

自分は、頂上まで登りたいと思いつつ果たせていませんが、五合目まで登った際の印象では、遠くから見る山の印象と、間近で見る山の印象に、これほど落差のある山は珍しいと感じましたね。

遠くから見た姿は非常に優美で、正に日本を象徴するほどの趣を持つ姿をしていますが、間近で見た姿は火山そのもので、五合目の森林限界を越えると、黒い玄武岩質の山肌がひたすらに続く無骨で荒々しい山でした。

この落差が、富士山の魅力のひとつでもあるんでしょうね。