Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

龍王城

展望台の龍王の砦から内子市街を望む

 伝承では、平安時代に越智喜多守が砦を築いたのが最初という。ちなみに、この越智氏の庶流だった玉澄が、風早郡河野郷に住んで河野を称し、後に伊予守護となる河野氏の祖になったといわれる。

 室町時代の応永年間(1394-1428)には、五十崎の地頭であった久保高実がこの城にいたというが、詳細な事績はわかっていない。

 天正年間(1573-93.1)には、河野家臣である大野氏の一族であった城戸直盛・直宗父子が城主であったようだが、直盛は天正2年(1574)頃に討死したらしく、床崎綱実が直宗を後見して統治したという。天正年間の初頭に、長宗我部氏の援助を受けた曽根宣高に城を奪われたとあり、この直盛の討死は、曽根宣高との争いによるもののようだ。

 その後、城戸氏は、河野氏の支援も得て一旦は奪回するも、天正5年(1577)に宣高によって再び落城し、綱実は討死、直宗は没落して帰農したという。

 城戸氏を滅ぼして龍王城を支配した宣高は、河内吉行を城代として置いたが、宣高が天正13年(1585)の四国征伐小早川隆景に降伏したため、龍王城も開城し、そのまま廃城になったとされる。

 現在の城跡には、龍王の砦という展望台があり、この外観が戦国時代の無骨な望楼のようになっていた。この展望台の周辺は公園化され、滑り台やグランドを始め、宿泊施設などもあるため、公園化の際に遺構は消滅したと思われる。山の斜面や中腹などに多少は残っているかもしれないが、見て回った範囲では、それらしいものは無かった。

 

最終訪問日:2004/9/11

 

 

内子は木蝋で栄えた町で、当時の町並みが観光地となっていますが、そんな場所にはお城があったはずと、見つけたのが龍王城でした。

ただ、内子の町並みとは、あまり関係が無さそうですね。

判っていることが少なく、城跡も公園化で遺構が見当たりませんでした。