Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

うすくち龍野醤油資料館

旧本社社屋を改装した資料館

 龍野の地場産業として隆盛した、淡口醤油や醤油醸造に関する資料館で、昭和54年(1979)11月の開館。

 龍野は、播磨平野で産出される米や麦、大豆、赤穂で精製される塩、鉄分の少ない軟水である揖保川の水と、醤油醸造に必要なものが揃っている場所で、醤油醸造が興る前は酒の産地であった。そんな醸造文化を背景として、天正15年(1587)に播磨の名族である赤松氏の末裔という圓尾孫右衛門長村が、武士をやめて酒と醤油の醸造業を始めたのが、龍野における醤油醸造の最初という。

 この頃の龍野は、福島正則の領地であったが、かつての龍野城主であった赤松広秀は、正則の前の領主であった蜂須賀正勝の与力となっていた。しかし、天正13年(1585)の四国征伐の後に正勝は四国へ移ったものの、広秀が龍野城へ復帰することは叶わず、但馬竹田城主に転じることとなったのである。赤松一族であった長村が、赤松家臣であったかどうかというのは分からないが、武士から商人に転じるという大きな決断の背景には、もう龍野に赤松氏の時代は来ないという事を感じ、武士をやめて龍野に残るという決心があったのではないだろうか。

文化財としての説明板

 長村の創業後、次いで天正18年(1590)に横山五郎兵衛宗信が同じく酒と醤油の醸造業を始め、片岡治兵衛も続いて創業し、龍野に醤油醸造が根付いて行くのだが、特産となる淡口醤油の発明は、江戸時代になってからである。寛文6年(1666)に、長村の子孫と思われる圓尾孫右衛門が開発し、龍野藩の積極的な産業奨励策も手伝い、色の良さやまろやかさから、大坂や京という大消費地に浸透していった。

 淡口醤油は、濃口醤油の原料に米麹を加えた形が最初だったようで、酒の醸造も営んでいた龍野だからこその開発であったと言える。19世紀に入ると、京の精進料理や懐石料理の要求に応えるよう甘酒をもろみに加えてさらに工夫が施され、現在の形となった。

 資料館は、昭和7年(1932)にヒガシマル醤油の前身となる、片岡家創業の菊一醤油造合資会社の本社として建てられたもので、建物自体も平成20年(2008)に国登録有形文化財に登録されているものである。木造建築ながら、外観はレンガ造り風のルネッサンス様式で、非常にモダンだ。資料館内部は、仕込蔵や圧搾場、麹室などが当時の様子で展示されており、文献や映像などの文字による展示よりも実物展示が中心で、直感的に解りやすく、視覚的に興味を持って見学することができる。

 

最終訪問日:2017/11/19

 

 

個人的には、濃口醤油よりも淡口醤油の方がコクが出て好きなので、一度行ってみたかったんですよね。

内部には大きな道具や仕込桶などがあり、酒蔵もそうですが、醸造業というのは資本がある者が営む装置産業という側面があるのを改めて実感しました。

武士から転じた人も多かったのは、納得できます。