Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

甲賀流忍術屋敷

甲賀流忍術屋敷

 俗に言う甲賀忍者であった、甲賀五十三家の筆頭格望月出雲守の邸宅として、元禄年間(1688-1704)に建てられた建物。忍者の住居としては、日本で現存する唯一の屋敷という。ちなみに、甲賀流という流派は無く、甲賀地方に伝わる忍術全体を指した言葉である。

 忍者は、講談や小説、特に海外でのイメージでは、何でもできるスーパーマンのように描かれているが、実際は、諜報や破壊活動を行う特殊工作員と言った方が正しいだろうか。

 甲賀や、甲賀に隣接する伊賀の忍者というのは、もともとは小規模な地侍であった。両地域は山間や谷地の土地が多く、他の平野部の豪族のように開墾によって大きく勢力を拡げることができなかった上、山がちの分立のしやすい地形的条件によって、勢力統合の圧力も働かなかったからである。

 そのような攻めるに難く守るに易い条件の中、父祖伝来の土地を守るため、また、勢力を維持して行くため、諜報能力や特殊技術を磨き、その技術によって家や土地を守り、はたまた他の大勢力に雇われて傭兵として働いたのが忍者であった。だが、その技術の性格上、秘術の詳細を他に漏らさないように一子相伝としたため、江戸時代には尾張徳川家に仕えていたことが知られれているものの、現在でも解明されていない部分が少なくない。

 この忍術屋敷は、一見すると普通の民家のように見えるが、内部にはどんでん返しやからくり窓、隠し梯子といった仕掛けが多数あり、当時の防諜技術の粋を集めた防衛施設である。忍者の末裔は、泰平の元禄の世となっても、身の安全を図る術を忘れてはいなかったようだ。

 忍者は、薬売りや修験者に扮し、薬や護符を売ったりしながら諸国を歩いて情報を集め、また、その任務の性格から、様々な知識を持っていたが、特に毒を使っての暗殺や旅での健康管理など、医学や薬学に通じていた。その繋がりで、忍術屋敷は近江製剤という薬メーカーの所有となっており、便宜上店舗として維持しているらしいので、お土産とともに漢方中心の薬を売っていたりもする。

 屋敷内部は、忍者に関する道具などの展示がされ、案内員による解説があるなど、さながら忍者に関する資料館のようでもあった。また、屋敷に入ると無料で飲める健保茶は、忍者が飲んでいたとされる薬茶で、600年の歴史を持ち、なかなかおいしかったのだが、これももちろん、近江製剤が販売をしている。

 

最終訪問日:2001/8/27

 

 

忍者屋敷に入るというだけで、ドキドキワクワクでした。

なんか漫画の世界のようですが、リアルにからくり屋敷が存在していたというのが、ロマンの一言に尽きます。