Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

東城砦 (監物城)

 春日山城の東北方向にあった出城。地図には監物城とあった。

 春日山城下の惣構を成す監物掘の東北端に位置し、城下から大手方向を監視するための出城である。規模は小さいが、春日山城の麓一帯においては重要な城砦として整備され、北側の池と共に防御力を高めていた。

 東城砦と共に防御線を構成する監物堀は、上杉景勝会津へ転封となった後、堀秀治が入部し、その重臣である堀監物直政が普請したことからその名を冠しているが、東城砦がこの時に築かれたかどうかは不明のようだ。

 春日山城は峻険な山城であり、戦国時代初期頃は、峻険な山城には里城という麓の居館が付き物であったことから、麓に居館が営まれていた可能性があるほか、長尾氏の版図が拡大するにつれて城下町も大きくなったはずで、麓部分の監視の必要はあったはずである。とするならば、周囲の地形から見て、東城砦の原型となる施設があっても不思議ではない。それほど、東城砦の場所は地勢的に良い場所である。ただ、現在の砦の形状は、直政が改修した際のものであるのは間違いないのだろう。

 春日山城入場後、近世城化の改修を実施した堀氏であったが、春日山城に在った時期は短く、より便利な平城である福嶋城を直江津津に築き始め、慶長12年(1607)の福島城完成に伴う春日山城廃城によって、東城砦も役目を終えた。

 現在の城下町跡には、発掘調査から確認された土塁や堀、道などの当時の姿が史跡広場として復元されており、この監物城もその時に復元整備されたのだろう。城には2段の郭があり、番小屋が復元されているだけではあるが、現地に立てば、春日山城最末期の麓部分の姿が想像できる。

 

最終訪問日:2001/9/17

 

 

全体に芝生が敷かれていて、色鮮やかな芝生の中に、初秋の夕方ののんびりとした空気が漂っていたせいか、不思議と印象に残っている場所です。

春日山城は武骨なお城ですが、その麓は優雅な空気すら漂ってましたね。