Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

旭湯温泉

 信州最長寿の温泉宿ともいわれる、佐久ホテルの温泉。正確な源泉名としては、旭湯のみであるが、一般的な名称として使われている旭湯温泉とした。

 佐久ホテルの前身となる宿が開業したのは、室町時代の正長元年(1428)で、望月城主望月河内守が、宿泊と食事の提供を始めたことがその創始という。また、この開業と同時期に篠澤光重によって掘削されたのが、この旭湯温泉で、現在でも涸れることなく、佐久ホテルの真下から湧き出している。

 以降、時の権力者にも利用される温泉宿となり、室町時代足利将軍家から贈られた書状が残っているという。また、戦国時代には武田信玄も入浴したとされ、信玄から拝領した掛軸の軸に使われていた円筒形の水晶を覗くと旭が見えることから、旭湯と呼ばれるようになった。

 江戸時代には、すぐ近くに陣屋があった岩村田藩主が入浴したほか、小諸藩主青山宗俊が利用した記録や徳川将軍家からの礼状も残るほど由緒があり、また、藩の公事宿の任も請けていたようだ。

 明治時代に入ると、宿は地元の出資者43名からの出資を得てホテルとなったが、その歴史は伝承され、若山牧水島崎藤村を始めとする文人が宿泊しており、これら文人たちも温泉を愉しんだのだろう。

 旭湯温泉の泉質は、メタケイ酸含有泉で、湧出温度は21.9℃、湧出量は毎分13.1Lである。湧出温度から加温となるが、明治時代には湯気が上がるほどの湯温があったという。また、最も多く含まれるメタケイ酸は保湿成分であり、温泉も中性に近い弱酸性であることから、美肌の湯と言える。

 メタケイ酸の含有量が多い理由は、浅間山の火山活動で形成された小諸火砕流の縁辺が岩村田付近まで延び、軽石堆積層となっているためで、その軽石の層から地下水に成分が溶け出したものという。

 佐久ホテルの内部は、老舗の雰囲気が濃厚に漂っており、温泉の浴室や浴槽は大きくはないものの、こちらも歴史の重みが感じられる温泉だった。旭湯の湯の色は、日によって変わるということだったが、宿泊した時は薄い黄土色をしており、最も出やすい色だったようだ。日によっては黄金色になる事もあるとのことので、もしその日に入浴できたのならば、とても幸運と言える。

 

最終訪問日:2019/5/12

 

 

室町時代から江戸時代まで、様々な権力者がこの温泉に浸かったと思うと、なんだか不思議な気分になりました。

お城好きとしては、大井城が徒歩の範囲にあるというのもポイントが高いです。

朝の散策で城を訪れ、朝風呂に浸かったなんて最高ですね。