湘南地方屈指の観光地。周囲約4km、面積0.38km2の島で、江の島とも書く。
湘南海岸の沖に浮かぶ島だが、もともとは約2万年前まで本土と陸続きの台地だった。後に海食と地盤の変化によって切り離され、島となったのだが、現在は砂嘴によって繋がる陸繋島である。
この砂嘴は、主に境川(片瀬川)を始めとする河川によって運ばれた土砂が潮の流れによって堆積するものであるが、河川の水量や流路の変遷、海流の変化などによって時代時代で場所が変わり、常時陸続きだった時もあったという。現在は、満潮時に冠水する状態で、干潮時は陸続きとなる。
江ノ島は、古来より景勝の地であったが、海食崖や岩窟などもあることから、修行場としても知られた。修験道の開祖とされる役小角や、各地に修行伝説を残す空海も、江ノ島で修行したと伝えられている。
また、江島神社の社伝によると、それらの伝説よりも古い欽明天皇13年(552)に、島の南の洞窟に勅命で宮が建立されたという。その後、頼朝の命によって、頼朝の伊豆配流時代の知己である文覚上人が養和2年(1182)に弁才天を勧進し、以降は弁天信仰の霊場として支配者階級から尊崇と保護を受けた。
江戸時代になると、弁天信仰が庶民にも広がり、江戸近郊の参詣地、行楽地として人気を集め、宿坊が軒を連ねている様子が多くの浮世絵に描かれている。
観光地化の流れは明治以降も続き、江ノ島電鉄の開業や、島全体が2mほど隆起したという大正12年(1923)の関東大震災を挟んで小田急江ノ島線の開通があり、東京近郊の観光地として人気を集め、両鉄道は多くの乗客を江ノ島へ運んだ。また、海岸沿いに現在の国道134号線となる道路が整備されたのも、この頃である。
戦後には、東京オリンピックのヨットレース会場に選ばれたことから、島の東側を埋め立ててヨットハーバーが造られ、島の面積は大幅に拡大した。これ以外にも、島に様々な施設が建てられ、観光の島として今も多くの観光客を引き寄せている。
江ノ島は、前述のように古くからの宗教の島で、その頃から連綿と続く寺院などの宗教施設と共に、近代になってから建てられた施設が雑然と存在する島であり、遠くから見ただけでも、江戸時代と昭和と現在が混じったような独特な混在感があって面白い。
最終訪問日:2013/5/17
時間の都合でさっと立ち寄っただけだったんですが、春の平日というのに人が多く、これが夏休み期間ともなれば恐ろしいほどの人が訪れるんでしょうね。
何より目に付いたのは、駐車場へと繋がる唯一の大きな道の両側にずらりと並んでいたバイクで、バイク乗りとしてはなかなか壮観でした。