Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-福井

小浜城

小浜城の小天守台と大天守台石垣 小浜城は、北川と南川、多田川が集まる地点の三角州の中に、この地に入部した京極高次が築城した平城で、雲浜城ともいう。 高次は、名門である近江源氏京極氏の末裔で、京極氏は、戦国時代には浅井氏に下剋上され、近江北半…

大野城 (越前大野城)

大野城というのが他にもあるため、区別して越前大野城と呼ばれることが多い。また、亀山に築かれているので亀山城とも呼ばれることがある。 戦国時代の大野には、支配拠点として土橋城があり、大野郡の郡司として朝倉景鏡などが居城していた。信長によって朝…

大黒丸城

大黒丸城説明板 越前での朝倉氏の最初の本拠で、三宅黒丸城ともいう。読み方が色々あるようだが、城跡近くの黒丸城町の読みがクロマルであり、斯波高経ゆかりの黒丸城と区別するために大小を付けたと思われることから、当時の一般的な読みを考え、オオクロマ…

亥山城

亥山城址碑と堀跡の池 越前大野城の城下町にある、日吉神社の境内が亥山城である。城は、居山城や土橋城とも呼ばれた。 亥山城が史料に登場するのは南北朝時代で、「太平記」には、暦応2年(1339)7月に堀口氏政が居山の城より出て5日の間に11城を落としたとあ…

戌山城

戌山城本丸にある説明板 室町時代の大野郡の治所となった城。現在の地名が犬山であるため、犬山城とも書く。 戌山城を築いたのは、越前守護斯波氏の有力庶家である大野家を興した斯波義種である。斯波氏は、祖となった足利家氏が、長子でありながら庶流とな…

一乗谷城

朝倉氏戦国5代の居城。義景が信長によって滅ぼされるまでの約100年の間、越前支配の拠点であった一乗谷の詰城である。 朝倉氏は、本姓を日下部といい、但馬国朝倉に住して地名を名字としたのが始まりという。日下部氏は、開化天皇の裔とも孝徳天皇の裔ともい…

細川館

細川館西端の郭は公園となっている 細川荘を領していた下冷泉家の居館。また、戦国時代から江戸時代に活躍した、儒者藤原惺窩の生誕地でもある。 冷泉家は、藤原道長の六男長家の流れで、その子孫である俊成が千載和歌集を撰した功によって細川荘を得た。ま…

柳ヶ瀬トンネル

明治17年(1884)4月16日に開通した、初期の北陸本線の鉄道トンネルで、平成15年(2003)に土木学会選奨土木遺産にも選ばれている。全長は1352m。 柳ヶ瀬トンネルは、北陸本線のトンネルとして長く使われ、昭和32年(1957)に北陸本線が深坂峠経由に変更された後は…