Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

善名称院 (真田庵)

白亜の塀で囲まれた真田庵の門

 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で西軍に与し、中山道を西に向かう徳川秀忠の軍を信州上田で足止めした真田昌幸・幸村(信繁)父子は、戦後、領地を没収されて高野山に流され、後に九度山に幽閉された。その幽閉されていた場所が、この真田庵という。ただ、これには別の説もあるようだ。

 昌幸は、幽閉されたままこの地で没したが、幽閉中の有り余る時間の中で、自身の経験と智謀、そして来るべき戦いの戦略を幸村に伝えたのだろう。幕府の監視の中では公に語ることはできなかっただろうが、幸村は父から譲り受けた策を胸に大坂城へと脱出し、家康の心胆を震え上がらせる戦い振りを見せ、壮絶な最期を遂げた。

 庵は、正式には伽羅陀山善名称院といい、幸村退去後は神聖な場所とされていた屋敷跡に、大安上人が寛保元年(1741)に地蔵菩薩を本尊として創建したものである。境内には、落ちた雷を幸村が封じ込めたという伝承がある井戸や、真田の六文銭が彫られた瓦など、庵の辺りの僅かな領域だけは真田一色といった感じで、真田家が好きな人にはたまらないだろう。

 昌幸は、九度山については、四方が山で、囲まれたらひとたまりもない土地と語っていたというが、実際に現地を訪れると、川筋に東西に延びる僅かな平野を除けば南北は険しい山塊で、確かに防戦するにはどうにもならないような土地である。ただ、ゆかりのある小諸辺りの風景に似ている部分もあり、真田父子は意外と気に入って暮らしていたのではないだろうか。真田庵の周辺は、そんな感想を抱かせる場所でもあった。

 

最終訪問日:2003/4/27

 

 

真田庵もそうですが、周囲にも色々と真田関係のスポットがありました。

訪れた時は、駐車場が無く、隙間に止められるバイクで良かったなと思ったんですが、年月が経ち、今では駐車場もできているようですね。

訪れる観光客も増えているんでしょう。

真田人気は健在といったところですね。