三浦半島の突端部から城ヶ島へ架かっている橋で、総延長は715mの内、海橋部分は575mあり、最高部の高さは23.5mである。城ヶ島へ渡る車両の、唯一の交通手段である。
橋の三浦半島側の三崎は、中世より栄えた港で、昭和中頃になると、遠洋漁業の隆盛に伴って大きく発展した。しかし、三崎周辺は海食岸で、元々平地が少なく、漁業関連用地が不足したため、三崎に代わって対岸の城ヶ島にその用地が求められるようになってくる。
こうして、三崎と海を挟んで面と向かう城ヶ島の北岸に埋め立てが計画され、それに伴って埋立地の発展性と利便性を担保するため、城ヶ島大橋も計画された。
しかし、対岸に用地を求めるというのは、船ならばどっちの岸に水揚げしても変わらないという、海の民の理論が根底にあって面白い。陸の民の発想では、川や海峡は明確な分水嶺で、その向こうは他所の土地という意識が強くなりがちであるが、三浦水軍をルーツに持つ三崎の人達の間では、元来、城ヶ島は庭のような感覚だったのだろう。
橋は、昭和32年(1957)4月に着工され、同35年(1960)4月に完成した。その総事業費は7億円に上ったという。開通後は、長らく有料橋であったが、令和2年(2020)4月1日に無料開放されている。
橋の設計では、城ヶ島と三浦半島の間の水道は、遠洋漁業の大型漁船の航路になっているため、満潮位から21mの高さと85mの幅を確保しなければならず、当時ドイツで使われ始めていた鋼床板箱桁形式が採用された。
この形式は、鋼製の箱型の橋桁であるため、橋自身の自重の低減と表面積の抑制が可能であり、航路確保のために橋脚間を広く取らなければならない上に海上橋である故に防錆対策が必要という、この城ヶ島大橋には非常に合理的であり、当時は技術者達の注目度も高かったという。
ちなみに、海上の赤い色をした橋桁部分がこの鋼床板箱桁形式の部分であり、その前後は一般的な橋桁である。
橋を渡ってみると、航路確保のために高さがかなりあり、橋上からの眺めがなかなか良い。また、橋前後の道が高さを合わせるために特徴的で、三浦半島側はジェットコースターのように一旦下ってから坂を上る形で橋に連結し、城ヶ島側は急激に高さを下げるためにループ状の道となっていて、こちらも印象深かった。これらの接続部分も含めて、この橋の特徴と言えるのだろうか。
最終訪問日:2013/5/17
自分が城ヶ島へ渡った時は、まだ有料の頃で、50円を払ってこの橋を渡ったんですが、島を散策した後の帰り道では、料金所がスルーで、50円で往復料金だというのを知りました。
島へ入ったら必ず出るというのは、完全に当たり前のことではあるんですが、先に集金してしまうのは確かに合理的ですよね。
高速などの料金所に慣れたせいなのか、常にお金を支払う所という先入観があるだけに、これには妙に関心してしまいました。