非常に有名な温泉で、日本三古泉のひとつ。
道後温泉は、三古泉に数えられているように、その歴史は有史以前に遡る。湯神社などがある冠山からは、約3千年前の縄文時代中期の遺物が発掘されており、その当時から、周辺の人々が利用していたのだろう。
開湯伝説としては、足を痛めた白鷺が、岩間から湧出する温泉に度々来て浸かり、傷が平癒したことから、人々が盛んに利用するようになったという白鷺伝説と、大国主命と少彦名命が伊予に来た際、少彦名命が重病となったため、大国主命が豊後の別府から湯を引き、少彦名命を掌に乗せて湯で温めたところ、たちどころに元気になったという伝説の2つがある。
大国主命の説は、奈良時代に成立した伊予風土記に記されていたという逸話で、本文は散逸してしまっているが、ここからも歴史の古さが窺えるだろうか。
その後は、神功皇后や厩戸皇子(聖徳太子)、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)といった神話上、歴史上の名だたる人物が利用したといわれ、源氏物語にも登場するほど中央でも知られた。
江戸時代の寛永13年(1636)には、松山藩主であった松平氏によって温泉の経営が始まり、数々の浴槽が整備され、江戸時代の行楽ブームもあって非常に賑わったが、宝永4年(1707)の宝永地震や嘉永7年(1854)の安政南海地震の直後に、温泉が止まるという事もあったようだ。
道後温泉の泉質は、アルカリ性の単純泉で、俗に言う美人の湯である。源泉としては18本あり、湧出温度は20℃から55℃と幅があるのだが、それらをブレンドすることにより、42℃程度で配湯することが可能になっている。ちなみに、湧出量は毎分100Lから200Lで、季節によって幅があるという。
道後温泉と言えば、坊ちゃんに登場することが良く知られているが、作者の夏目漱石は、近代和風建築の道後温泉本館が竣工した翌年の明治28年(1895)に松山へ赴任しており、手紙などでその良さを称えている。その道後温泉本館は、以降も存続し続け、今では温泉のシンボルとなり、平成6年(1994)には重要文化財に指定された。
現在の道後温泉には、道後温泉本館の北から東に掛けて数多くの宿泊施設が存在し、道後温泉駅や坊ちゃん列車などのレトロな雰囲気も残り、昼間でも観光客が多い。公衆浴場としては、道後温泉本館のほか、飛鳥乃温泉と椿の湯という施設があり、外湯として利用する宿泊客も多いようだ。
そのような賑わいの中でも、やはり道後温泉本館には特別な存在感がある。明治頃の近代的な要素をまといつつ、重厚な和風建築の佇まいがあり、観光名所となっていることにも納得がいく。内部の温浴施設としては、非常にシンプルな造りではあるのだが、1度は道後温泉本館で温泉に浸かってみたいという人も多いだろう。
最終訪問日:2023/2/11
道後温泉本館には、1度は入ってみたいと長らく思っていましたが、ようやく願いが叶いました。
内部もレトロ感があって、予想通りのいい感じでした。
浸かってみて思ったのは、浴槽が意外と深いということ。
平均身長が低かった明治の頃は、中腰で浸かってたんでしょうか。
妙に気になります笑