Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-岡山

津山城

日本三大平山城のひとつ。 嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱で将軍足利義教を謀殺し、直後の討伐によって没落した赤松氏に代わり、山名宗全持豊の一族教清が美作の守護に就き、嘉吉年間(1441-44)に教清の叔父忠政が守護代として津山城の場所に鶴山城を築いた。これ…

常山城 (備前)

JR常山駅からの常山城遠景 幕府の奉公衆であった上野氏の居城。 常山城の築城時期には、文明年間(1469-87)や明応年間(1492-1501)などの諸説があるが、上野氏が築城したという部分は一致しており、室町時代中期頃の常山城一帯は、幕府奉公衆三番番頭を務めた…

常山城 (有漢常山城)

常山城説明板 常山城というのはよくある名前で、隣国備前にもあり、区別する為に地名を冠して有漢常山城と呼ぶのが一般的である。 常山城は、麓にあった秋庭氏の居館に対する詰城であった。秋庭氏は、承久3年(1221)の承久の乱の功により、重信の時に備中国有…

高松城 (備中高松城)

文献には高松城と記されているが、一般には備中高松城と呼ばれる。 永禄年間(1558-70)末、備中の雄、三村氏の家臣である石川氏が、備前の宇喜多直家に備えて築いたというが、築城者は石川久式とも久孝ともいわれ、築城年代もはっきりしない。その後、高松城…

高取山城 (備前)

高取山城遠景 宇喜多氏ゆかりの砥石城の西約1kmに在る山城。 築城の伝承としては、年代は不明ながら、浦上家臣で美作高取氏の流れと思われる高取氏が築城したといい、その姓から高取山城と呼ばれたという。しかし、古い時代の史料には高島山城とあり、島と鳥…

下津井城

本丸にある下津井城址碑 下津井には、源平争乱の頃から城があったが、この場所ではなく、もっと海側にあったようで、典型的な海城だったと考えられる。また、南北朝時代には、足利尊氏が下津井に滞在しているが、これもその古城付近であったという。 新しい…

経山城

古代城柵である鬼ノ城の東南側の峰に築かれた山城で、キョウヤマと読む。 名前の由来は、付近一帯が平安時代に山岳仏教の霊場として栄え、多くの経塚があったことから、この山を経塚と呼んだ。それが、そのまま城の名となっている。 経山城は、天文年間(1532…

冠山城

冠山城本丸 織田家と毛利家の戦いで攻防があった、備中高松城を始めとする備前備中国境の境目七城のひとつ。 築城者には、河津左衛門氏明と、守福寺の某とする2説がある。 河津氏明は、室町幕府草創の功臣である足利家執事高師直の配下であり、観応元年(1350…

笠岡城

山を崩してその土で造成された眼下の笠岡干拓地 城のあった古城山は、昔は島だったとも応神山と連なっていたともいわれており、海に面した標高約70mの山に築かれた海城であった。 最初に築城したのは、桓武平氏の平貞盛の流れとも大江氏流とも伝えられる陶山…

神楽尾城

神楽尾城は、築城時期については不明だが、本格的な築城は南北朝時代に行われたと見られる。伝承では、正平年間(1347.1-1370)に宇都宮教貞が在城したというが、詳しい事はよく分っていない。 南北朝時代には、太平記に見えるように北朝方の赤松氏と南朝方の…

鶴首城

太鼓丸公園から延びる登山道 備中に覇を唱えた三村氏が興隆初期に本拠とした山城。カクシュと読む。 鶴首城は、奥州平定に功のあった河村秀清が文治5年(1189)に築城したという説もあるが、三村家親が戦国期に築いたとするのが一般的である。 三村氏は、清和…

小田草城

山頂の本丸と小田草城址碑 当地の豪族斎藤氏が標高390mの小田草山に築城し、居城としていた山城。 城の歴史は古く、麓の小田草神社の梵鐘から、南北朝時代の貞治7年(1364)には城があったことが判る。 城主であった斎藤氏は、どの系統の斎藤氏かもよく分らな…

岡山城 (備前岡山城)

旭川側から岡山城復元天守を見上げる 岡山城の前身は石山城で、現在の二ノ丸の北西部分にあった石山という丘陵を城にしていた。この石山城を築いたのは、建武期に活躍した名和長年の一族という上神高直で、築城年代は正平年間(1346-70)という。 その後、事績…