Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-兵庫

明石市立天文科学館

天文科学館の展望台付き時計塔と子午線標示柱 日本標準時である東経135度の子午線上にある科学館で、主に天文や時間に関する資料の展示をしている。 開館は、時の記念日である昭和35年(1960)6月10日で、プラネタリウムの設置は日本最初ではないものの、投影…

飛龍の滝

飛龍の滝大滝近景 千種川から支流を2.5kmほど遡ったところにある滝で、2段合わせて落差4mの小滝と、16mの大滝から成る。 国道373号線の久崎三差路から徳久方向へと入り、千種川を渡って上月工業団地を抜け、東向きから南向きへと方向を変えながら千種川の支…

原不動滝

木々の隙間から見える原不動滝中ノ段 揖保川の支流である引原川の、そのまた支流である八丈川を1.5kmほど遡っていった先にある滝。日本の滝100選に選ばれている。 その昔、美しい渓谷に消えていった飛龍を見た修行僧が、龍を不動明王の化身と思い、その渓谷…

闘龍灘

闘龍灘全景 播州平野の稲美野を潤す加古川の中流、中国自動車から1kmほど北のところにある幅広の滝。地図や交差点名には、竜の字で闘竜灘と表記されていた。 幕末の詩人梁川星巖が漢詩に詠んだ事から名付けられたという闘龍灘は、かつて栄えた加古川の水運が…

鹿ヶ壺

最下段の尻壺 揖保川の支流、林田川の源流近くの支流にある滝で、水流が長い年月をかけて岩盤の石英粗面を削り、流れ落ちた先で大小数十もの小さな滝壷を作っている。これら滝群の最大のものが鹿ヶ壺で、鹿の寝姿に似ていることから名付けられ、この一帯の滝…

魚ヶ滝

魚ヶ滝を上から 市川の上流、生野銀山近くの銀山湖に流れ込む手前約1kmのところにある滝。 落差は2mちょっとしかない滝なのだが、子供たちが飛び込むにはちょうど良く、また、滝の近くが浅く穏やかな広い空間となっている為、兵庫県下では水遊びできるスポッ…

平井山本陣跡

平井山本陣跡の主郭部 天正6年(1578)から同8年(1580)にかけて行われた三木合戦の際、秀吉は包囲網形成のために周辺に無数の付城を築かせ、自らは三木城の見える平井山に本陣を張ったが、平井山には今でもその陣所の跡が残っている。名前を平井山本陣跡とした…

姫路モノレール跡

取り壊された大将軍駅跡の高尾マンション 手柄山で開催された姫路大博覧会に合わせ、会場への交通手段として昭和41年(1966)5月17日に開通し、同49年(1974)4月11日に休止した姫路モノレールの跡。所々にモノレールの橋脚が残っており、旧手柄山の駅には車両が…

竹中半兵衛重治墓

今も献花が絶えない竹中半兵衛重治の墓 秀吉が三顧の礼で軍師として迎え、黒田官兵衛孝高とともに秀吉幕下の二兵衛と称され、三木合戦の陣中で病没した竹中半兵衛重治の墓。秀吉が三木合戦で本陣を張った平井山の麓にある。現地の案内板には、諱の重治ではな…

正法寺古墳群

正法寺古墳群案内板 加古川と美嚢川の合流点近くの丘陵にある古墳群で、丘陵の圃場整備に先駆けて平成6年(1994)6月から翌年2月まで発掘調査が実施された。この時に発掘されたのは正法寺山の西側中腹の段丘だったが、古墳が存在するのは山頂から段丘にかけて…

黒田職隆墓

妻鹿城の城下町にある黒田職隆の廟所 秀吉の軍師として活躍した、黒田官兵衛孝高の父職隆の墓。 黒田家は、播磨国黒田庄の土豪という異説もあるが、近江源氏佐々木氏の庶流とするのが一般的で、職隆の祖父高政が戦国時代初頭に流浪して備前福岡へ行き、同じ…

黒田重隆墓

室の明石氏と並んで祀られている黒田重隆の廟所 黒田官兵衛孝高の祖父重隆の墓。 黒田家は、播磨国黒田庄の土豪という異説もあるが、近江源氏佐々木氏の庶流とするのが一般的である。つまり、佐々木京極氏の分かれである近江国伊香郡の黒田氏の流れで、重隆…

桂小五郎居住跡

たくさんの碑が残る居住跡 黒船来航によって、国内で議論が百出した江戸時代の幕末では、知識階級を中心に尊皇攘夷思想が高まって行った。その先導的な役割を担ったのは、思想的には水戸藩であり、実際的には長州藩である。しかし、京都での長州藩の振る舞い…

大石良雄の石垣跡

大石良雄の石垣跡全景 江戸時代当時、この周辺は大和村と呼ばれ、赤穂藩の飛び地であった。その赤穂藩の家老大石内蔵助良雄が工事を視察した、灌漑の為の石垣である。 赤穂藩は、忠臣蔵にも出てくるように、塩田の経営を成功させており、潤沢な収入があった…

王塚古墳 (桧笠岡王塚古墳)

環濠が整備された王塚古墳 5世紀末から6世紀初頭の前方後円墳で、地元では単に王塚古墳と呼んでいるが、地図には桧笠岡王塚古墳とあり、吉田王塚古墳とも呼ぶ。 推古天皇11年(603)、撃新羅将軍であった来目皇子の後任として、聖徳太子の異母兄弟である当麻皇…

井の端古墳群

井の端古墳群の7号墳の頂上面 公共宿泊施設である上郡ピュアランド山の里に隣接する古墳群。丘陵一帯には13基の古墳があり、その内の5基について調査されている。 この古墳群は、平成5年(1993)に上郡ピュアランド山の里の建設に伴って発掘調査が行われ、当…

生野銀山

生野銀山金香瀬坑道入口 石見銀山とも呼ばれる島根の大森銀山と並んで、中世から近世にかけての代表的な銀山。銀だけではなく、銅や錫も産出していた。 開坑は、伝承では平安時代の大同2年(807)とされているが、この頃は地表に偶然現れた鉱脈を採掘する露天…

湊川神社

建武3年(1336)の湊川の戦いに敗れて自刃した、楠木正成を祀る神社。配祀として、正成の子正行や、弟正季以下正成と共に自刃した16柱も祀られている。 もともとこの地には、楠木正成の塚があったが、そのことを知った水戸光圀が墓所を建て、尊皇攘夷思想が渦…

松帆神社

松帆神社の真っすぐ伸びる参道 百人一首に「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」という歌があるが、その岩屋付近の松帆の浦とは別に、松帆という名を持つ場所は淡路島のあちこちにあり、この松帆神社もそのうちのひとつである。 伝…

中山寺

中山寺の重厚な山門 年代は不明ながら、聖徳太子の建立と伝わる由緒ある寺で、全国的にも安産や子授のお寺として有名。正式には紫雲山中山寺といい、真言宗中山寺派の本山であることから、大本山中山寺とも称する。 中山寺の本尊は、十一面観世音菩薩で、勝…

清荒神清澄寺

清荒神清澄寺の本堂 地元では荒神さんとして、一般には清荒神の名で知られる寺。摂津国八十八箇所霊場の第七十二番札所で、真言三宝宗という荒神信仰の大本山でもある。 寛平8年(896)、鎮護国家を願う勅願寺として宇多天皇によって創建され、比叡山の高僧静…

柿本神社

柿本神社本殿 三十六歌仙のひとりで歌聖とも称される、柿本人麻呂を祀る神社。神社名の読みは、カキモトではなく、祭神と同じカキノモトである。 柿本人麻呂は、その生没年を始めとして官位や事跡すらよく判っておらず、ただ短歌や長歌だけが残るという、ま…

大石神社

四十七士の像が並ぶ大石神社の参道 赤穂で大石と言えば、忠臣蔵の大石内蔵助がすぐ思い浮かぶように、赤穂浪士四十七士を祀る神社。 俗に言う忠臣蔵とは、元禄14年(1701)に起きた浅野内匠頭長矩による江戸城松の廊下での吉良上野介義央への刃傷事件に始まり…

瓜生羅漢石仏

岩窟に並ぶ石仏 キャンプ場などがある、相生市の羅漢の里の管理事務所へと続く道の途中に、右折して山へ入って行く道がある。これが、感状山城と瓜生羅漢石仏へ続く登山道だ。 遊歩道の入口には、水車のある農家が出迎えるように建っているが、そこから羅漢…

伊弉諾神宮

伊弉諾神宮の拝殿 神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつで、淡路国一宮。また、延喜式神名帳に記された式内社であり、名神大社に列している。 神社の名前が示す通り、本来の祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)のみであったようだが、いつの頃からか伊…

生田神社

神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつで、延喜式神名帳では名神大社に列している。生田神社の祭神は、稚日女尊(ワカヒルメノミコト)で、これは天照大神の幼名や和魂、あるいは妹ともいう。若々しい日、つまりは朝日信仰だったのだろうか。神功摂政元…

青玉神社

青玉神社説明板 多可町加美区の国道427号線にある道の駅杉原紙の里多可の向かいには、杉の巨木が深い杜を作り出している一角がある。これが天戸間見命(アメノトマミノミコト)と大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)を祀る青玉神社の境内で、他の神社では見ら…

若杉高原おおやスキー場

兵庫県と鳥取県の境にある戸倉峠の近くにあるスキー場。若杉高原の若杉はワカスと読む。ただ、そこは省略されて、単純にオオヤと呼ばれることが多い。 色々と調べてみたが、スキー場の開業がいつであるかは分らなかった。経営している若杉高原開発企業組合の…

ミカタスノーパーク

鉢伏山近辺にあるスキー場のうちのひとつで、昭和58年(1983)の開業。廃業ではないようだが、平成30-31年(2018-19)シーズンが最後の営業となっている。 ミカタスノーパークという名前になる前は、ミカタ奥ハチスキー場という名前であった。このことが示すよう…

氷ノ山国際スキー場

兵庫県の最高峰である、氷ノ山の北東斜面に位置するスキー場で、最長滑走距離2500m、最大斜度35°。 開業年は、色々調べてもよく分らなかったが、八木川を挟んだ北向かいには、氷ノ山や鉢伏山周辺で最も早く開かれた大久保ゲレンデがあることから解るように、…