Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-滋賀

白鬚神社

境内の鳥居をくぐって見る湖上の鳥居 近江最古の神社といわれ、全国の白髭神社の総本社でもある。 具体的な創建時期は不明だが、古代の鎮祭創建に始まるといわれていることから、その起源は、有史以前と言ってもいいほど遡るのだろう。社記によれば、垂仁天…

夢京橋キャッスルロード

両替商の看板を出して雰囲気を高めている銀行の店舗 国宝の彦根城を象徴とする城下町の彦根らしく、彦根城の主郭部の南にある京橋から続く通りの建物を、昔の面影を残したデザインに全て統一している。 全国に京橋という地名は多く見られるが、京へ向かう街…

びわ湖バレイ

琵琶湖の西にそびえる比良岳のやや南、蓬莱山と打見山の間にあるスキー場で、最長滑走距離1400m、最大斜度30°。 昭和40年(1965)に開業したスキー場で、当初は運営会社だった産経新聞から名前を採り、サンケイバレイという名で営業していた。同44年(1969)から…

日吉の馬場

日吉の馬場の特徴である穴太積みの石垣と白壁 日吉はヒエとも読み、日吉大社は全国の日吉神社、日枝神社の総本社である。また、比叡山と同じ読みであることから、自然の山そのものを崇拝する古代の山岳崇拝が神道化したというのは間違いなく、後には延暦寺と…

八幡堀

八幡堀と近江八幡の街並み 近江八幡は、天正13年(1585)にこの地へ入部した豊臣秀吉の甥秀次が、城下町を建設する際に、琵琶湖との水運の向上を図って掘削した運河で、全長は約6km。 群雄割拠の戦国時代から変わり、合戦が少なくなった安土桃山時代の風潮を示…

能登川大水車

東近江市にある、能登川大水車とカヌーランドという親水公園にある水車で、直径は13mもあり、関西最大の大きさを誇っている。 もともと琵琶湖南東岸には、陸地に湾入した内湖や葦原の湿地があり、それらが干拓された結果、現在のような広大な農地となった。…

玄宮園

彦根城内にある彦根藩主の庭園。井伊家の下屋敷である楽々園と共に、玄宮楽々園として国指定の名勝となっている。 金沢の兼六園や岡山の後楽園を見れば解るように、江戸時代の城にはたいてい大名庭園が作庭されているが、この玄宮園もそのひとつで、唐の玄宗…

慶雲館

明治20年(1887)2月21日の明治天皇の行幸の際に建てられた建物。 この明治天皇の京都行幸があった当時は、東海道線は長浜駅と今の膳所駅である馬場駅の間がまだ開通しておらず、馬場駅の浜手にあった初代大津駅から長浜駅まで、船便による代替輸送となってい…

旧草津川

周囲のマンションの低層階よりも高い旧草津川の流路と堤防 かつては教科書にも載るほど天井川として有名だったが、流路が変えられて天井川ではなくなり、その跡地が俗に言う旧草津川となった。ちなみに、滋賀県の利用計画などでは、草津川廃川敷地と呼ばれて…

つばきの湯

水口にある人口温泉を備えたスーパー銭湯で、つばきの湯というのが通称ではあるが、水口温泉とも名乗っている。開店は平成24年(2012)4月21日。 浴室設備は、一般的なスーパー銭湯と変わらず、内湯には白湯とジェットバス、電気風呂があり、サウナも乾湿の2ヶ…

石山南郷温泉

琵琶湖から流れ出る瀬田川沿いにある温泉。 かつては、通称として南郷温泉と石山温泉として別の名を名乗っていたが、どちらも自噴の源泉がある岩間山中から導水しており、現在は石山南郷温泉としているようで、源泉名も石山南郷温泉となっていた。ただ、自分…

横山城 (近江)

横山城北城の主郭部 築城時期は定かではないが、室町時代に京極氏の支城のひとつとして構築されたという。 横山城が史料に登場するのは16世紀初頭で、永正14年(1517)に浅井亮政と京極高清が対立した際、亮政が城を落としたとあり、この頃には既に存在したよ…

山本山城

山本判官古城と記された麓の城址碑 小谷城の西の支城となっていた山城。 新羅三郎義光の裔である山本義定かその子義経が、平安時代末期に築城したという。この山本氏は、近江に土着した近江源氏ではあるが、繁栄した宇多源氏の佐々木氏とは違い、清和源氏の…

山崎山城

山崎山城解説板 近江の豪族山崎氏の居城。 山崎氏は、近江源氏佐々木氏の庶流で、佐々木経方の子行定から分かれたといい、その孫憲家が近江国犬上郡山崎の地を領して山崎を名乗ったとされる。ただ、分かれたとされるのが平安時代末期で、しかも中世の系図が…

水口城

資料館の敷地となっている本丸番所跡 水口には、羽柴秀次の補佐役となっていた中村一氏が天正13年(1585)に築いた岡山城があり、これも当時は水口城と呼ばれていたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後に廃城となっていた。寛永11年(1634)になり、将軍家光は京…

日野城 (中野城)

日野城址碑と空堀 蒲生氏の居城で、一般的には日野城だが、地元では中野城と呼ばれている。 日野城を築城した蒲生氏は、古くから蒲生一帯を治めてきた一族という。そもそも蒲生とは、加茂や賀茂と同じく鴨族の住んだ場所という意味で、蒲生氏自身も、一般的…

彦根城

彦根城天守閣 言わずと知れた国宝五城の内のひとつ。 徳川四天王のひとりである井伊直政は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後に近江東部を与えられ、石田三成の居城であった佐和山城に入城した。佐和山城一帯は、東国や北陸と京を結ぶ要衝で、過去にも名だたる…

八幡城 (近江八幡城)

本丸跡の村雲瑞龍寺を西ノ丸から眺める 正式には八幡城、もしくは八幡山城だが、他にも同名の城があることや、市名が近江八幡であるため、近江八幡城と呼ばれることが多い。 八幡山に最初に城が築かれたのは、長享年間(1487-89)で、六角家臣の守護代伊庭氏に…

鯰江城

鯰江城址碑と説明板 愛知川沿いにある10m程の河岸段丘上にある城で、城郭内は平坦な平城の形式であるが、川の側から見ると平山城に見える。往時はもっと川が迫る崖であったらしく、いわゆる崖城であったのだろう。 鯰江は、鎌倉時代より荘園があったことが史…

長浜城

長浜城模擬天守と城址碑 長浜城の前身である今浜城は、バサラ大名として名を馳せた京極道誉こと佐々木高氏の家臣、今浜六郎左衛門が南北朝時代の建武3年(1336)に築いた。 この今浜氏は、今浜に勢力を持っていた在地豪族であったが、後には坂田郡上坂田を本拠…

瀬田城

臨湖庵の入口にある瀬田城址碑 古くは勢多城とも表記され、江南の旗頭であった山岡氏の居城であった。 山岡氏は、景行天皇の末裔である伴善男の流れといわれ、代々の当主の名にある通字が「景」であるのも景行天皇の裔であるからという。系図はいくつかある…

膳所城

膳所城跡公園にある城址碑 琵琶湖に張り出した平城の水城で、日本三大湖城のひとつ。 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦直前に、その前哨戦としての籠城戦があった大津城を廃して、合戦翌年に築城された。その理由は、大津城が籠城戦の際に、近くの長等山から城内…

佐和山城

佐和山城址碑 築城は鎌倉時代初期で、佐々木定綱の六男、佐保時綱が館を構えたのが始まりという。ただ、館は山麓の可能性が高く、山頂にはせいぜい砦程度の詰があったに過ぎないと考えられ、城としての体裁を整えたのは、少なくとも鎌倉時代末期から南北朝時…

坂本城

坂本城址碑 元亀3年(1572)に明智光秀によって築城された城。琵琶湖の水を取り込んだ水城で、当時は大天守や小天守を擁し、安土城に次ぐ壮麗な城だったという。 築城目的は、その立地場所からも解るように、西の比叡山に対する監視と、東の琵琶湖からの水上交…

朽木城 (朽木陣屋)

朽木城から改修された朽木陣屋の説明板 北川と安曇川の合流点近くの丘にある城で、朽木谷城や朽木館、朽木屋敷ともいう。また、後世になって城から陣屋に改修されたため、朽木陣屋とも呼ばれる。朽木を支配した豪族朽木氏の居城であり、別名が示すように里城…

観音寺城

繖(キヌガサ)山に築かれた山城で、名門近江源氏佐々木氏の本拠地。 佐々木氏は、宇多天皇の皇子敦実親王の子で、宇多源氏の祖となった源雅信の裔である。その雅信の孫である成頼が、近江国蒲生郡佐々木荘に住して佐々木を称し、一党は佐々木源氏や近江源氏と…

音羽城

遊具のある公園となっている音羽城本丸 中世蒲生氏の居城で、オトワと読む。蒲生貞秀によって応仁元年(1467)からの応仁の乱の頃に築城されたとも、その父秀綱が15世紀初頭の応永年間(1394-1428)に築いたともいわれ、鎌倉幕府草創期の築城という伝承もある。 …

小谷城

山王丸の大石柿 浅井氏3代の居城跡で、五大山城のひとつ。 浅井氏は、三条公綱落胤説や物部守屋の後裔説等がその出自として知られるが、有名な亮政以前のことはよく判っていない。史料には、佐々木京極氏の根本被官、つまり譜代とあり、更には鎌倉時代の古鐘…

岡山城 (水口岡山城)

公園入口付近の車道脇にある城址碑 往時は水口城と呼ばれていたが、後に同名の城が西に築城された為、水口岡山城、もしくは水口古城と呼ばれる。また、現地の城址碑には単に岡山城とだけあった。 天正13年(1585)、八幡に入城した羽柴秀次の補佐役として中村…

岡山城 (水茎岡山城)

湖岸道路沿いにある水茎岡山城址碑 水茎岡山城は、水茎内湖に存在していた浮島のような丘陵へ、南北朝時代に湖上交通の押さえとして六角氏が築いた城であった。当時は岡山城や尾山城と呼ばれ、今の水茎岡山城の名は、後世に他の岡山城との区別のために付けら…